マイストーリー

母に憧れて

・大阪府八尾市(正木産婦人科)生まれ・交野市育ち。
・母も音大ピアノ科卒で、私が生まれるまでの間、現在の教室の向かいの家でピアノ教室を開いていた。

・母方の祖父が生前園芸が趣味(堤町2,3町会では緑化活動に貢献)だったため、当時はお花畑のようなお教室だった。
・ところが家庭の事情で満室のお教室を閉め、私の物心がついた頃は交野市の自宅や出張レッスンで数人教えていた。
・母が大手音楽教室の教え方を知るために、3歳の私をヤマハ音楽教室に通わせ始めた。
・4歳から幼児科でエレクトーンのグループレッスンを受けるが、母が聴かせてくれるピアノに憧れた私は、ピアノの先生になりたいと思うようになる。
・特別弾くのが上手でもなかったが、母譲りの音楽への理解力が評価され、6歳からジュニア専門コース(J専)に進級。

学校では人気者♪でも母のように弾けない

・自然豊かな交野市でのびのびと育ち、自発的で活発な性格になった。

・学校では「ピアノの先生になる」と宣言、伴奏者に選ばれたり、ピアノが苦手な担任の先生の代わりに弾いたり、自分の作曲を披露したりと、学校では人気者だった。
・ヤマハのジュニア専門コース(J専)では、ピアノの個人レッスンやグループレッスンでのアンサンブル・楽典・ソルフェージュや作曲など、音楽を勉強する上で重要な基礎を学んだ。
・レッスンでは毎回先生に指や手の形を直され、グループのメンバーとの差を感じることもあった。
・母はピアノを弾く時の身体の使い方で悩んだことがなかったため、私の悩みが理解できなかった。
・当時の楽しみは、夏休みや冬休みに、単身赴任でタイで暮らしている父に会いに行くことだった。

出る杭は打たれる

・小4から父の転勤先タイへ引っ越す
・バンコクの日本人学校では東京出身の子どもが多いため「大阪弁で喋ったらいじめられるよ」と母に言われ、標準語に変えた。
・ピアノが弾けることですぐに学校行事での伴奏も任されたが、同調圧力の強い校風の中では悪目立ちした。

・音楽の先生から故意に低い成績をつけられたり、クラスメートから妬まれたりして、人間の嫌な部分を垣間見る。

音楽は国境を越える

・当時日本ほど音楽教育が進んでいなかったタイで、ピアノを誰に教わるかが大きな課題だった。
・初めは母と同じ音大を卒業したタイ人の先生に習ったが、専門的なレッスンではなかった。次は、アメリカに留学経験のある日本人の先生に習ったが、先生の入院で中断。紆余曲折を経て、母の知人の紹介でロシア人ピアニスト、エルヴィラ先生に教わることになる。

・エルヴィラ先生は、当時日本では誰でも習うと思っていたバイエルやツェルニーなどの指の訓練のための教本は使わず、東ヨーロッパの作曲家の作品をはじめ素敵な曲を選んでくれた。
・英語(通訳なし)でのレッスンで、言葉は全くわからなかったが、先生の歌い方や身振り手振りを参考に練習しているうちに、自分の音楽が変わっていった。
・音楽性を重視したレッスンでコンプレックスを持たずに学ぶことができた私は、この頃から「日本のピアノ教室を変えたい」という気持ちが芽生える。

・学校ではあまり冴えなかったが、コンクールに入賞して様々な国の先生方の心を動かすことができた経験が、大きな財産となる。

国際色豊かな環境で

・日本に帰国後、帰国子女を広く受け入れている同志社国際中学・高等学校に進学。
・中学では、合唱フェスティバルで弾くピアノ伴奏を耳コピで採譜し、クラスで1つの音楽を作り上げるクリエイティブな活動はとても楽しかった。
・高校では、毎朝の礼拝が大きなホールで行われるようになり、毎日本物のパイプオルガンの音色を聴いていた。

・そのパイプオルガンの隣で賛美歌を歌っていた聖歌隊に入隊。部活ではなく奉仕活動という位置付けだったため、ピアノの練習で忙しくても入ることができた。
・聖歌隊では絶対音感を生かし、練習の音取りで役に立つことができたので、「人間ピアノ」と呼ばれて中心的な役割を果たすことができた。

・中高6年間の音楽活動への貢献が評価され、卒業パーティーでは母の振袖を着て演奏することができた。

運命の師匠との出会い

・中学に入学してすぐ、当時同志社女子大学の音楽学科の教授だったブルガリア人ピアニスト、プロティッチ先生に弟子入り。
・師匠は普段は音大生やピアノの先生を指導していたが、タイでのエルヴィラ先生による指導が功を奏し、13歳で特別に弟子入りを認めてもらえた。
・師匠がすぐ隣の四條畷市にお住まいであることがわかり、母の運転で通うことになる。

ピアノの弾き方を一から見直す

・プロティッチ先生の奏でる音の最大の魅力は、本当に人間の声で歌っているような豊かで深みのある音である。
・師匠は、手や身体をどのように使えばどのような音が出るのかを、一から論理的に説明して教えてくれた。
・その指導は、私が一番初めに教わった弾き方とは全く違うため、驚きの連続だった。
・レッスンは一切妥協がなく、毎回2時間を超えたが、教わったことをすぐにはできない私に、諦めずに何度でも同じことを教えてくれた。
・会心の演奏ができた時は「ブラボー」と褒めてくれるので、それを励みに頑張っていた。

他の先生方に認められない

・プロティッチ先生のレッスンに通い続けて、私の演奏は少しずつ変わっていった。

・高校生になると、師匠の門下生の発表会にも出演できるようになった。
・高1の夏、大学の音楽学科の夏期講習を受講し、師匠ではない日本人の先生にレッスンを受けた。
・その時の評価は、「あなたにはテクニックが足りない」「指をもっと鍛えなさい」など厳しいものだった。
・ピアノの弾き方を一からやり直したことで、当時技術面で遅れを取ってしまっていた。
・師匠は私に弱点を克服させるのではなく、長所を伸ばそうとしてくれた。
・門下生の発表会では先輩方から温かい言葉をいただき、彼女達と一緒に勉強したいという気持ちが強まった。

3点に命を懸ける

・同志社女子大学のピアノ科には合格できたものの、適度に遊びながら短期間でレベルの高い曲をこなしていく同期達と比べて劣等感に苛まれる。
・睡眠を削り長時間練習したにもかかわらず、初めての実技試験は残念な結果だった。これを機に、「量をこなす練習」から「考える練習」へシフトする。
・2回生の実技試験ではプレッシャーに負けて実力が発揮できず、前年と同点になってしまった。
・どうすれば自分の演奏が変わるのか、大学で話し掛けられても気づかないほど考え続けた。
・「これで結果が変わらなければもう生きている資格はない」と決死の覚悟で臨んだ3回生の実技試験で、ようやく3点上げることができた。

自分の道を見つける

・私の演奏は進歩していたものの、なかなか師匠のようには深みのある音が出せずにいた。
・私の興味は、より繊細な音を求められるフランスの作曲家たちに向くようになった。

・特に興味を持った作曲家はプーランクだったが、初めはうまく弾きこなすことができなかった。
・その軽妙洒脱な作風から、実技試験でプーランクの作品を弾くことをよく思わない先生方もいた。
・それでも4年間プーランクの作品に取り組み続けることで、師匠の奏法のもう一つの特徴である多彩な音色を活かせるようになっていった。

心を開く

・大学に入り母の目を離れたことで、ようやく師匠と英語でのコミュニケーションが取れるようになった。
・学生生活で最も印象に残っているのは、演奏会スタイルの講義で、師匠とピアノ2台でベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を演奏したこと。
・私に自信を取り戻すきっかけをくれたのは、フルートやヴァイオリンなど、他の楽器の大学同期や先輩方だった。
・試験や発表会・コンクールの伴奏に一生懸命取り組むことで、彼女達の揺るぎのない信頼を得ることができた。
・ピアノ科の同期が引き受けて練習が間に合わなかった、難しいフルートの伴奏の代役を務めたこともあり、感謝された。

オンリーワン♪そして母を超える

・「ブラボー。長い間よくここまで私について来てくれましたね。あなたは真のアーティストです。私はあなたを誇りに思います。」卒業試験の演奏を終えた私に、師匠がこのように言葉をかけてくれた。
・それまで私に厳しい評価を下した先生にも「彼女は真のプロだ」と言わしめ、納得のいく成績で大学を卒業することができた。

・卒業後、私の演奏に価値を感じてくれていた大学の先輩や同期から声が掛かり、母が叶えられなかった演奏活動やオーケストラ共演の夢を実現。
・今では母よりも長く教室を続けながら、東ヨーロッパ奏法のピアノ指導者向け講座も主宰している。

演奏活動内容

・2024年12月12日
「ブレーメン奏でたいクリスマスコンサート2024」にて、ピアノの宮口愛と共演

・2024年5月11日
「ブレーメン奏でたいスプリングコンサート2024」にて、ピアノソロで出演

・2023年2月19日
「川西音楽家協会サロンコンサートVol.25~祈り・励まし~」にて、フルートの井関美奈子と共演

・2019年12月28日
「“フランスのエスプリ” プーランクの魅力♪」にて、ピアノの久間あゆみと共演

・2019年12月6日
「前菜プレコンサート」にて、ピアノの久間あゆみと共演

・2018年12月25日
「クリスマスに優しい歌とオペラアリアを」にて、ソプラノの木田記美代と共演

・2013年12月15日
「長谷川留巳と高田裕子によるデュオコンサート」にて、フルートの長谷川留巳と共演

・2012年1月21日
「博物館の夕暮れ Ave Maria Museale ~歌とフルートによるジョイントコンサート~」にて、伴奏者として出演

・2011年10月16日
「奈良フィルとソリストたちの共演」にて、大井剛史指揮・奈良フィルハーモニー管弦楽団とプーランクのピアノ協奏曲を共演

・2011年4月3日
「長谷川留巳フルートリサイタル」にて、フルートの長谷川留巳と共演

・2011年3月13日
「川西音楽家協会サロンコンサートVol.14~春が来た~」にて、フルートの井関美奈子と共演

・2010年8月
新日本海フェリー「あかしあ」(舞鶴~小樽間)にて、フルートの井関美奈子と船内コンサートに出演